平等であるべきか
家の手伝いは子供であるならすべきだと思ってはいた。
それが子供の恩返しの一つであり、一番踏ん張っている母を助ける手段だと思ったからだ。
でも私はやらなかった。それはほかの家族がやらなかったからだ。ほかの家族がやらないのに、自分だけが時間を割いて手伝いをするというのは不平等じゃないかと思ったからだ。
その平等は正しい考えなのだろうけど、その考えを尊重する必要はなかった。
学生の身なのでアルバイトに行くわけだが、今の御時世どこもかつかつの状態で日々業務に臨んでいる。そんな中で、現場の社員たちはみな自分のキャパシティーに合わせて仕事を行っている。当然、一番仕事ができる人に基準を合わせたら、フィジカルかメンタルどちらかで耐えられなくなる人が現れる。
だからと言って、仕事量が多い人が「不公平だ!」と言ってしまえば、全体としての仕事効率を下げざるを得なくなり、仕事がうまく回らなくなってしまうだろう。キャパシティーに余裕のある人間は、その分多く働く事がやはり望ましいのだ。
そう考えると、私の場合重きを置くべきなのは横から単純に見た平等さではなく各個人のキャパシティーなのであり、その観点でいうと私はとんでもない怠け者だったわけだ。余裕のある時は、手伝いをする努力をしようと思う。
…何と恥ずかしいブログだ。