大学生の日常。

あるモノとあるべきモノ

最近、いろんな作品を見ていて思うこと。

 

よく美談や正論として描かれることに、自由や平等、機会均等といったトピックがある。確かに、それらは実行されるべきものだし、それがなされれば理想的であるものだ。

しかしながら、私たちの生きる世界には必ず歴史が存在する。歴史によって生まれた制度やルール、決まりごとはジェンガのように組み立てられていて、無理に大規模に変えようとすると音を立ててすべてが崩れていく。また、少しずつ良い方向にもっていくことはできてもそれは膨大なエネルギーを要することであり、そのために人生を棒に振ることだって十分にあり得る。

私たちがそんな中で生きていくためには、自分の生まれがどの立場にあるのかを自覚し、誇りに思い、その立場が持つ特徴や性格を最大限に活用することなのだろう。

例えば、私やこれを読んでいる人が全員「日本人」だと仮定する。日本人が持っている特徴とは何だろう。パスポートの効力はすごくて、世界のほぼどこにでも訪れることができる。欧米諸国に行くと、目を吊り上げて馬鹿にされる。可視的な職業の縛りはなく、どのような職業にも就くことのできる可能性がある。…

もちろん、利己的な親を持っていたり、家のお金がなかったりと、生まれてくる人間が平等であるなんて言うつもりはない。ただ、自分の身の回りの物をしっかりと観察して、自分がどのようなカードを切ることができるのか、そして自分が違う立場であればどのような経験をすることができるのかを知ることは、少しでも理想的な人生を歩む第一歩になるのだと思う。とくに、現代では能動的な人生を強いられている人が増えてきている。自分のいきたい道が整備されているのか茨の道なのかくらいは承知の上で進むべきなのだろう。