進撃の巨人 完結....
お久しぶりです。
ここのところ勉強その他で全くここに書けるような面白いことがなかったので静かになっていたんですが、昨日はあの進撃の巨人の最終巻が出るということで何も手が付けられず、読んだ後も放心状態でした。
最終話~最後にかけてはいろいろ賛否があるとは思いますが、僕としては鬼滅の刃ほどの肩透かしを食らったわけではないので良かったです。ただ、筆者本人も言ったように読者を意識してしまったエンドで、知らないうちにストーリーを置きに行ったのかもしれないですね。
ポジティブな感想については人並みのものしか出てこず、むしろ33巻まで読んだ状態の方が息巻いた感想が書けるような気さえするので、今回はあえて下記に疑問点などを書き散らしていこうとおもいます。実はすでに答えが出ていた―なんてものもあるかもしれませんが、そこはご容赦ください。
――――以下ネタバレ&個人的意見―――――――
何が言いたいかって北欧に行ってみたい
はい。アマゾンで話題の働き方の本です。課題本でもあったので、試しに読んでみました。
語り口が優しいのでするっと読めてしまいました。レビューとかを見ていると「日本との違い」の絶望している方が多いようなイメージですし、どうしてもフィンランドの良いところばかりが目に行ってしまいですが、本書で語られているように等のフィンランド人たちもまだまだ課題があると考えていますし、筆者もどうにかこのライフスタイルを日本に普及したいと考えておられるみたいですので、この本を読んだ一人一人が自分の職場でどのように変えていきたいかを考えることが重要なのではないかと思います。
大学生がもうすこしまともならインターンとして夏季休暇を多くとらせることも可能なのかもしれないですが、、、如何せんお客様ファーストのビジネス構造ではなかなか先方を煩わせず学生インターンを導入することは難しいのかもしれません。。。
この本に書いてあることで一番できそうなのは事務作業のさらなる効率化を図ることと、自然とよりふれあい心に余裕を持たせる..という意味でのWell-Beingの充実などでしょうか!近年山購入がブームなので、整備された自然の中でのアクティビティ施設が増えるといいですね!
いずれにせよ、筆者のフィンランド愛が伝わってきて、読み物としても凄く良い一冊でした!ほしみっつ!
ゲーテについて
先日ゲーテJohann Wolfgang von Goetheの詩の一つ、AM FLUSSEを
undergradurate-life.hateblo.jp
訳したんですが、どうも理解が浅いような気がして、ゲーテ作品を多く日本に輸入してきた池内紀さんの「ゲーテさんこんばんは (集英社文庫)」を読んでみました。
するとどうでしょう、文豪ゲーテと聞いて太宰治や森鴎外といった日本人が頭に浮かぶ「文豪」のイメージからはかけ離れた、まるで演劇のような人生を送っていたことが読み取れます。
断っておくと私自身はあまり文学に親しみがなく知識もないため、素直に感銘を受けたところを中心に取り上げていきます。
ゲーテはまず当たり前のように多彩で天才、幼少期から藝術~学問にかけて様々な教養を身につけているため、世に出てから息絶えるまで何かを生み出し続けます。万能人間といえばレオナルドダヴィンチですが、わかり易い伝説がないだけで一人の人間が残した実績の数としてはゲーテは十分に万能人といえるくらいのものを残しています。
ゲーテの人生は「ファウスト」に色濃く映し出されています。グレートヒェンを巡る話や、二章の財政問題なんかは、ゲーテの人生経験や見聞が多く取り入れられているようで、特に女性関係なんかは、ゲーテがいく先々で年齢や既婚かどうかなどを意に介さずに魅力的な女性に求愛していきます。しかし関係が固まってしまいそうになるとそそくさと逃げ出すので、立場を考えてのことでしょうがなかなかに勝手な男であることがわかります(笑)
まあ現代の日本のように世間に厳しく監視されない限りは、多くの男性は権力を持つほどこうなるのだろうという気もしますが!
ゲーテは公務の合間を縫って、時には周りを欺いてまでしばしば旅に出かけました。地図はあまり手に持たずに、ひたすらに書記を残したというのがゲーテらしいです。私はイタリアに行ったことがないので、ゲーテの愛したヴェネツィアを含む「イタリア紀行」にいつか行ってみたいですね。
読んでいて「あっ」と思ったことをいくつか。ゲーテはしばしば「内的世界」という言葉を口にしたようで、才のある人間が社会に受け入れられず、内的世界に閉じこもってしまうことに懸念を示しています。それを防ぐためには彼らの紡ぐ話を聞き入れ、受け入れてくれる存在が必要としているというのですが、この論理にすごく私は納得させられました。
ゲーテも当時の小国ワイマール公国の執政官だったようですが、当時の彼の心を支えたのは、七つも年上の夫人だったそうです。
現代の国々はどうでしょうか。今大国と呼ばれる国々、代表としてアメリカ、ドイツ、中国としましょう。それぞれの国の政治体制は大きく異なるものの、才のある人間には惜しまず大金を払い、現代の国力である会社の発展に貢献させています。ドイツは多数の反対の中大規模な移民政策を行い、真っ当に生きていけるような教育を受けさせるような制度を整えていっています。
しかしそのような大国ですらいまだ問題が多くある中、小国での諸問題の根深さは言うまでもありません。現代の日本は「老人と小官僚がのさばって」いない国なのでしょうか。若人をと才を受け入れる制度を整える、つまり国を若返らせ、若者に寛容になることが、いま最も必要なことではないのかとこの一説を見て感じました。
ゲーテの面白いところは死してなお物語が終わらないところです。
恋愛作家、官僚、文豪、科学者など多くの顔を作ったゲーテは後世に語り継がれますが、彼が面白いのは死んでから批判の対象になることです。批判は称賛よりも注目の対象にされるので、いかにゲーテが当時影響力の強い人物だったかがわかります。
また、一次大戦終戦頃にはゲーテの思想にちなんだ学校がプロイセンに作られますが、その思想はナチには受け入れられず、批判の嵐を受けたのちに閉校となります。しかし、やり玉に挙げられるのは当時の関係者ばかりで、ゲーテ本人がターゲットになることはなかったようです。やはり当事者の方が注目度は高い、というのもあったのでしょうが、批判の対象にならなかったというのは当時の人間なりの歴史的人物に対する敬意が感じられないでもないです。
わたしは有名になった「もっと光を。」よりも最後にゲーテの絶筆である
戸口を掃除しよう
すると町はきれいだ
宿題をちゃんとしよう
するとすべて安心だ
(池内紀訳)
のほうがしっくりきます。
物々しく描かれた作品よりも、まじめで、そのまじめさよりも時々欲深さが勝ってしまうゲーテその人の人間性が静かに表れていると感じるからです。
長い文章になりましたが、これでゲーテの詩ともっと真剣に向き合えそうです。
読んでくださってありがとうございました!もし間違ったことを書いていましたらTwitterかコメントで教えて頂けると助かります。
解答例を回答する。
国語の問題を教えていた。
演習を終え、生徒が回答を見る。
自由度の高い問題だった。解答例に書かれていたことは小難しい書き方で、書き方には幅があると感じた。「あくまで解答例だから、自分の言葉で書いてみるといいよ」とアドバイスすると、生徒は少し考えたあと、自身の回答を消し、赤ボールペンで解答例を映した。
ああ、自分も当時これをやってたっけか、と思い出した。自分で考えるのは少し難しく感じて、少し権威があって信頼できる解答例に頼る。
何よりも、それをすれば安心できた。
知らず知らずのうちに解答を求めている。回答がないなら、解答例を求めている。
外でサッカーをする。交換日記。かけっこが速い。人気のゲーム。コンタクト。オシャレ。ケータイ。SNS。映え。ワックス。鼻が高い。高身長。足が細い。目が大きい。顔が小さい。顔が整っている。友達が多い。コミュ力が高い。誰とでも仲良く。可愛くなきゃいけない。自分らしく。同意。リクルートスーツ。大企業。結婚。出産。…
いつからか。いつからなのか。
無意識のうちにそれらを求め、それに浸かりすぎると、それをしない人に疑問を抱くようになる。
「なぜ、しないのか?」
あくまで解答例だから。 これがわかっていたら、自分で考えなくちゃいけなくなる。自分で考えられるようになる。息苦しさがましになる。
そう信じています。
空の境界 上
高校生の頃にFate Grand Orderというアプリがリリースされて、その当時に空の境界イベントというものが行われていました。
そこで両儀式や浅上藤乃のデザインにほれ込んでしまったのが、空の境界上中下巻を衝動買いしてしまった理由です。
…しかし、当時の私にこの本独特のクセのある文章と向き合える忍耐力はなく、なんとなく流し読みしてあまり話を理解しないままどこかで読むのをやめてしまっていました。
そして今、この大作ともう一度向き合ってみようというわけです。
以下感想です。重大なネタバレはないと思います!
やはり殺人考察は時系列が複雑で、本筋と深く関わっているということもあるのか話が淡々と進みます。黒桐君の式への思い入れは完全に異常で、もう少し向き合うべき部分のはずですが、その部分を知ってしても彼を穏やかな青年だと感じてしまう。事実、私も彼に対してとても好印象なのです。
本巻を通じて一番好きなところは、チャンネルについて議論するシーンです。「常識」チャンネルしかもっていない人と「異常」チャンネルしかもっていない人では感性がかみ合うことはなく、ただ憎しみあうだけなのでしょう。しかし、両方持っている人の苦悩は片側しかもっていない人の比ではなく、自分のアイデンティティが確立できないまま他人に理解されず苦しみ続けるのです。
ただ、作中で黒桐が藤野に手を差し伸べた時や、式が病気を切り殺した時のように、心を温めてくれる存在や根本から自分を変えてくれる存在がいるならば、絶望の中でも生きていけるのでないかと思います。
エミヤもそうでしたが、不変の苦しみの中で自分の道を見つけていくというのは、月型作品のテーマに組み込まれている気がしないでもないですね。
…ほかの方のブログを見ていると、コアなファンの方はとても厳しいようなので、にわかがこれ以上知った口を利くのはやめておこうと思います(言い逃げ)
感想を書くかはわかりませんが、時間がある時にまた中下巻も読んでいこうと思います。
それではまた。